札幌と名古屋の意外な共通点~都市構造から紐解く~

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皆さんは札幌と名古屋、似ていると思いますか?

人によっては「何言っているんだお前。都市規模が違いすぎるだろ」とでも言い始めるかもしれません。確かにその通りです。しかし「都市構造」に目を向けてみるとそうは言えないのではないでしょうか。本稿では都市構造という点において名古屋と札幌の共通点、そして差異はどこから生まれたのかということを少し論じます。

こんなこと思ったきっかけは結構馬鹿みたいなことからで「札幌の大通と久屋大通そっくりじゃね?」と思ったところから来ています。そこから他のことも関連付けて紐解いていくと、両者の都市構造が思いのほか似ていた…という具合です。

まあそんなこと言っても行ったことない人もいるでしょうから黙ってまずは下2枚の写真を見てください

大通(札幌)
久屋大通(名古屋)。インスタのやつしか手元になかった

ね?そっくりでしょ

つまりそういうことなんです。(おしまい)

…という訳にもいかないのでもうちょっと詳しく見ていきましょう。まずは両者の景観の形成過程からまとめてみました。こじつけ論多いけどそこのとこはよろしくお願いします。

札幌大通の歴史

大通公園のホームページには以下のように書かれています。

東西の基軸が創成川で、南北の軸はやがて大通公園となる後志通でした。1871(明治4年)、中心部を北の官庁街と南の住宅・商業街とに分ける大規模な火防線がつくられました。これが大通公園のはじまりです。

大通公園の歴史と植物

なるほど。もともとは火災の時の予防線としての大通公園だったんですね。はじめは後志通と道内の国郡名を使って道路に名前をつけていたらしいですが、しっちゃかめっちゃかになってめんどくせ~ということで1881には「大通」という名前になったようです(この時に今の北〇条西△のような形になったらしいです。細かいことはこちらへ)。10年くらいしかない…また公園に関しては以下のように記述されています。

1875(明治8)年ごろからは多目的に利用されるようになり、1878(明治11)年には第一回農業仮博覧会が開催されました。1909(明治42)年、造園の権威であった長岡 安平(ながおか やすへい)を東京府より招き、整備計画を依頼。逍遥地(散歩などをする所)としての顔が整えられます。第二次世界大戦では、食糧確保のために畑となり、戦後進駐軍の司令部ができた西3丁目には、教会がたてられました。その後公園として復活し、まちの成長とともに都心の憩いの場として整備が進められできました。

大通公園の歴史と植物

一度畑として利用されていたとは戦時中の食糧難は大変だったんですね(ちなみに当時は芋作るために国会議事堂前ですら耕作していたこともあります)。このような形を経て幅105m、長さ約1.5kmにわたる大通は誕生したみたいです。

さて、ここまでが公園そのものの歴史でしたがもう一つ大通に欠かせない要素、テレビ塔があります。

さっぽろテレビ塔は1956年に工事が開始され、1957年に開業となりました。場所は大通り公園端っこで高さは147.2m、設計者は内藤多仲(ないとうたちゅう)です。耐震構造理論の生みの親として東京タワーや通天閣なども設計した構造家の人です。すごい。タワーと言えばこの人みたいな感じがありますね。

現在でこそタワーの色は「赤色」と「緑」で構成されていますが、元々は「銀白色」でした。なぜ変わったかというと冬季のすす汚れで汚れが目立つということ、銀白色のせいで冬季は雪と同化し、飛行機からの視認性が悪いという2つの事情で現在の色になりました。ん…?もともとは”銀白色”…?まあともかく雪国ならではの事情でこうなったようです。定期的に塗り替え等行われ色も若干変化していますが、赤色を維持し現在に至っています。ちなみにこのテレビ塔にある電光時計は日本で初めて設置された電光時計みたいです。

ここらへんで主要の2つについては説明できたので名古屋のほうへ目線を写しましょう。

久屋大通の歴史

久屋大通ができたのは戦後。意外にも最近のことです。これは太平洋戦争末期の空襲で焼け野原になってしまった名古屋市内中心部の復興事業として造成されたことがきっかけとなっています。目的は札幌と同じく防火目的。工事はスムーズに進行した訳ではなかったようです。というのも、100m道路計画の大元となる区画整理の対象面積が4,400haと当時の名古屋市2割以上に相当したこと(空襲被害が広かったことにも起因する)、同時に進行していた墓地の集団移転に対する反対運動があったことによるものです。(参考:Consultant vol.278 大都市の復興「名古屋」/箕輪 知佳)

色々なことがあったようですが造成工事は1955年には大体終わり、大通よりも広い平均幅員112m、長さ約1.8kmにもわたる久屋大通は誕生しました。 

現在でも「栄」に代表される名古屋の中心地として久屋大通周辺は文字通り栄え、市民の憩いの場として機能しています。

さて、今度はテレビ塔へ目を向けてみましょう。

テレビ塔が建設されたのは1953年着工、翌1954年完成しました。久屋大通造成中の出来事です。さっぽろテレビ塔よりも3年前の出来事で当時日本初の集約電波塔でした。場所は札幌と異なり公園の真ん中にあり、高さは180mと札幌のものより高いです。札幌より高いどころか東京タワーが建造されるまでは日本で一番高かったです。設計者は札幌のテレビ塔と同じく内藤多仲。こちらは写真の通り銀白色で建築され様々な改修工事を経て現在までその色を維持しています。

今まで述べてきた通り公園の形成時期としては大通のほうが先でテレビ塔は久屋大通のほうが先、そして結果的に偶然似てしまったという感じみたいです。ということは造成の歴史以外の部分でもそこに潜んでいる共通因子が存在するのではないかというのは自然な発想なわけです。というわけでようやく本題に入りますが”街”そのものも比較してみましょう。少々こじつけ論がスタートしますが悪しからず。

中心地と離れている鉄道の中心地

因子のひとつに「街の中心地」と「鉄道の中心地」のズレがあるのではないでしょうか。具体的に見てみると札幌で言う「札駅」と「大通」、名古屋で言う「名駅」と「久屋大通(=栄)」両者も若干距離があります。名古屋駅~久屋大通までは直線距離で大体2.4kmほど、札幌から大通りまでは900mほどと札幌のほうが名古屋よりも距離は半分以下ですがそれでも若干離れています。(ちなみに久屋大通から900mというと位置的には丸の内や伏見に相当します)。まあ札幌の場合地下街で繋がっているんですが…。なお先にも述べた通り大通りの長さは札幌が1.7km、名古屋が1.8kmと両者ほぼ同じなのは興味深いです。以上のことを比較すると下の写真のようになります。

こうやって衛星写真で比較してみると札幌は道路が広くスカスカに見えますね(とはいえ冬はこんだけ幅があっても道が狭くなります)。そして札幌駅は名古屋駅に比べるとだいぶ窮屈な配置になっていることもわかります。新幹線できたらまたちょっと変わるのかなあ。

ちなみに札幌の場合、札駅〜大通に高層ビルが固まって配置され、それ以外の部分は例えば札幌駅より北側では住宅地、大通より南側のすすきのまで中層・低層の商業ビル等が建ち並んでいます。そこで名古屋はどうなのか?という疑問が湧いたので2003年の宅地利用動向調査を見てみたところ、名古屋も札幌と同様に名駅〜久屋大通東側にかけては商業エリアとなっている一方、名古屋駅より西側や久屋大通東側(特に都心環状線以東)では住宅が立ち並ぶという共通項がここでも見つかりました。意外にも街の活用方法は両者とも高い相関性があるようです。これは航空写真で比較するまで気づかない部分であったのでびっくり。他の共通項も見てみましょう。

地下鉄の敷き方

こちらもたまたまですが地下鉄の敷き方も似ています。基本構造はこんな感じ

両社とも公園を一本突っ切る鉄道と並行に伸びる2本の鉄道という点では共通です。これは碁盤の目によるものでしょう。名古屋は区画整理事業によるもの、札幌は開拓によるものといずれも碁盤の目になった時期はそれほど離れていません。そして公共空間の地下であり、建設もしやすかった。ややこじつけ感もありますがここにも共通因子があります(流石に開通時期には時期には相関なさそう)。この辺で一旦共通項の話は終わらせ、両者の差異をわかりきってる部分もありますが一応少しだけ話しておきましょう。

札幌と名古屋の差異

まず今まで述べてきた部分を見て分かる通り、両者の形成過程は全く異なり、札幌は計画都市として一体となって発展、名古屋は元々の街に戦後復興での現在の形という違いがあります。また名古屋と栄は別地区として発展してきたというのも先程の距離を比較しても分かる通り簡単に想像がつくのではないかと思います。

またマクロ視点でみると最初に述べたことでもありますが両者は都市規模が違います。これは大阪と東京に挟まれていて元々発達していた名古屋と、明治期以降に本格的に発展し歴史が浅い上、北海道の中にポツンと大都市がある札幌との違いです。こればかりは仕方ありません。そして札幌は背後を山にぐるりと囲まれています。ここも名古屋とは大きく異なります。つまり都市開発にも限界がある点です。

ミクロ視点に移すと札幌では寒さを避けるという理由で地下街が発達しており、すすきの〜大通〜札幌駅まで地下空間で繋がっています。一方で名古屋の場合は栄周辺や名駅周辺では地下街が発達しているものの、周辺地域とそのまま地下で移動できるわけではありません。こちらは交通事故が多発していた事による回避策としての建設という意味合いを持っているため札幌とは全く違う理由となっています。とはいえ「人が安全に通行できる空間」という観点からみると両者共通している要素はあります。

まとめ

一番言いたかったのは「久屋大通」と「札幌大通」似てるよねっていうだけなのにこんだけ書いちゃいました。名古屋と札幌の共通点をご理解いただけたでしょうか。札幌の人は名古屋行ったときに「うわ似てる」、名古屋の人は札幌行ったときに「うわ似てる」という現象になりがちです。両者都市規模こそ違いますが偶然にも結果的に結構似ています。どちらかの都市訪問する際、そのあたりを意識しながら街を歩いてみてください。きっと新たな発見があるはずです。

また札幌の肩ばかり持つ感じになりますが、今後の札幌の発展を考えるのであれば名古屋の事例は多少なり参考にできる部分があるのではないかと個人的には考えていたりしています。今後温暖化が進むでしょうし、気候面での差異はだんだんなくなってきそうですし。

言いたいことは大体言えたので本稿はこの辺で締めさせていただきます。記事に書いた内容以外で共通項を見つけたよ!とかあればお気軽にコメントでお知らせください。それでは!

建設当時のままの世界線だったら…

イロンナヒトカラオコラレナイトイイナー

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