仰々しいタイトルからスタートした。サカナクションファンとして感じたこれまでとこれからを、自分なりに外野から見た雑感としてまとめた記事だ。
最近、界隈でちょっと荒れているのを観測した。きっかけはフェスのセトリが、今までのライブの流用じゃん!みたいな話から始まった気がする。そこで見た「病み上がりに高みを求めるな」みたいな意見には激しく同意しつつ、サカナクションを俯瞰して見たとき、今どういった立ち位置にいるのかをきちんとまとめてみたいと思い、この記事を書くことにした。本当はずいぶん前から「ミュージックってすごい曲なんだよ」という記事を書きたかったんですが、こっちが筆に乗ってしまったので先に出しちゃいます。
結論から言うと、「ミュージック」は完成度が高い曲であることを言いたいのだが、それは別記事に譲るとして、今思うとこのバンド名を冠したアルバム「sakanaction」を出した時点で、サカナクションは一度「完成した」のではなかろうか。否、もう少し正確に言うと、デビュー当時から歩んできたサカナクションは一度「最終形態」にたどり着き、ここからまた新しいフェーズが始まるのではなかろうか。この記事を書くにあたり調べてみたら、2018年に同じようなことを考えている人が他にもいたので、併せて紹介しよう。
彼らがたどってきた足跡を振り返ると、「多分、風。」や「新宝島」は出しているものの、6年間新しいアルバムを出せていないという事実が、このことを裏付ける客観的な証拠のひとつになっている。
初期からのファンではないので、違った見方になるかもしれないが、サカナクションを振り返ると以下のようにフェーズ分類できるのではないだろうか。
- デビュー前時期: あまりこの時期の温度感は良く知らないが、ダッチマンとして活躍していた時期も含まれている。この時期が、834.194でフィーチャーされていたことからも、彼らにとって特別な時間だったのだろう。
- デビュー初期: 最もサカナクションが意欲的に挑戦していた(語弊を招く表現なので補足すると、活動が相対的に見て特に尖っていたいた)時期は、このあたりだと思う。例えば、「サンプル」は山口一郎復活時にフィーチャー曲として取り上げられていたし、昔はチャレンジングなことをやっていた。私が好きなAmeシリーズや「ミュージック」などもこの時期だ。ここで初期「サカナクション」としては一度完成形に達した(と勝手に思っている)。
- 新宝島牽引期: 初めて大衆に大ウケする曲ができたのがこの時期。「新宝島」以来、これに少し苦しめられている節もあるように感じる。久々のアルバム「834.194」では、タイトルからも前作の東京進出と札幌にいたころを対比させる描写が見られ、作為性と無作為性に焦点を当てている。このあたりから、素直ではない言葉使いや解釈性が高すぎるような歌詞が多い印象も個人的には受ける(批判的な文脈ではなく単純にそう感じたので、読者の中でも異論はあるだろう)。初期の音楽との決定的な違いはこのあたりで、若干の迷走感が漂う。
- アダプト: コロナ禍を経て、思ったことが素直に表現された曲群。実際、大衆にウケる曲も多いが、「シャンディガフ」や、特にコロナ禍を反映した「フレンドリー」など、山口一郎らしい歌詞が光る内容もちらほら見られる。
- アプライ(まだ出てないけど)~: これからのサカナクションの在り方を示す作品群になると予想している。コロナという枠を超えて、「サカナクション」としての大衆との付き合い方、その中で大切にする「本質」を再解釈するような楽曲が収録されるのではないか。また、この中でもう一度、彼らなりの答えに出会うような気がする。
思えば、一度完成した後に始めたのが「サカナLOCKS!」だったのかもしれない。当時ラジオを聴いていたわけではないが、今でも文章として読めるため、少し追ってみることにした(今でも文として残していることに感謝感謝)。これを読み返して感じたのは、山口一郎が世間の人たちと触れ合うことで得た「大衆の感覚」によって、少しずつ本心とは異なるキャラを演じるようになり、大衆受けを意識するようになってしまったように思えるということだ。大衆を知ることで、自分自身をある意味でそちら方向に「アダプト」していったことは、最近のインタビューやドキュメンタリーで彼自身も明かしている。その限界を超えてしまい彼は病んでしまったが、逆にそれをすべて公にしたことで、少しだけ解放されたのではないか。作りこまないありのままの姿に近づけたのであれば、それは素直に喜びたい。
現状を取り巻くサカナクションの状況には、なかなか厳しい部分がある。もともとメンバー間の関係性も、他のバンドと比べるとドライな様子がうかがえ、5人そろって表舞台に立つシーンはかなり少ないと感じている。その中で、ボーカル山口一郎のうつ病などの発症と治療、そしてバンドとして抱えていた各種問題が、恐らくコロナという外的要因が最後の引き金となり噴出してしまった。この10年間に蓄積されていた歪みがついに限界を迎えたことの証左ともいえよう。こうした中で活動を精一杯続けてくれているメンバー5人には最大限の敬意を払いたいし、今後も活動を続けてほしいと一人のファンとして切に願っている。今が彼らにとって最も試されている時期であることは間違いない。その中でも、徐々にバンドとしての向き合い方に変化が生まれてきているように思える。良い方向への兆しとして、期待したいところだ。
ところで最近山口一郎が多用する言葉がある。それは「変わらないまま変わる」という信念。恐らくこの言葉を別の言葉として解釈し直すと「本質的な部分は変えずに、その時その時の時代の波に合わせて表現を変えていこう」という姿勢なのだろう。大衆を彼らなりに理解した先にあるその大衆との付き合い方というのをようやく見つけられたシグナルとしてとらえている。売れる音楽と作りたい音楽の乖離に長らく悩まされている彼であるが、届きたい人にはきちんと届いている、そして深く刺さっているのも事実である。実際ここにいるわけだから。だから、この本質部分は変えないでほしい。これについてはわざわざ一介のファンが、お節介に言うまでもない当たり前の話ではあるだろう。どう表現をアップデートさせアプライさせるのかを気長に待ちたい。
かなりの割合で山口一郎の話をしてしまったが、正直、彼以外のメンバーの内面についてはあまり表舞台に出てこないので、わからないことが多い。こういう記事を書いていて、ファンとしてはもう少し他のメンバーの考え方を知りたいものだなと改めて感じた。見当違いな文章になってしまったら本人たちに申し訳ないが、外野から見える範囲で自分なりに現状を分析してみた。本人に届くかわからないけど、このあたりの考え方をちょっとぶつけてみたい。
これから「アダプト」していった先の「アプライ」として、どのようなものが出てくるのか楽しみだ。どう転ぼうと、サカナクションはサカナクション。最悪、アルバムは出ないという結論でも構わない。辛抱強く、ファンとしては見守りたいと思う。最後に、サカナクションの未来を感じる曲を紹介して終わろう。アルバム未収録の「SORATO」。